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いかなる難工事にも全力で挑む 令和6年能登半島地震・奥能登豪雨への取り組み

能登 共に歩もう未来へ 令和6年 能登半島地震・奥能登豪雨 熊谷組グループの災害復旧対応

令和6年1月1日、石川県能登半島北部で起こったマグニチュード7.6の地震により、大規模な土砂崩れや液状化現象、沿岸部では堤防被害や最大4mに及ぶ地盤隆起が発生しました。同年9月には能登地区において豪雨という再びの災害に見舞われ被害が深刻化しました。熊谷組は地震発生直後から震災対策本部を設置し、被災地の啓開工事を迅速に推進。豪雨被害のあった奥能登では応急復旧作業を行い、一日も早い復旧復興に全力で挑んできました。

震度7の巨大地震が元旦の能登半島を襲う

石川県北部に位置する能登半島は、日本海に突き出した風光明媚な土地。西側の外浦には奇岩や断崖が点在し、北東部には棚田や伝統的な製塩体験ができるという観光エリアでもあります。
一方、富山湾に面した内浦は穏やかな海と砂浜が広がり、黒瓦の家や田園風景に出会え、また能登の里山里海は、世界農業遺産に認定されています。

そんな能登半島が新しい年の幕開けと共に一変しました。

当社が対応した主な工事箇所

令和6年1月1日、元旦の賑わいもそろそろ落ち着きを見せはじめた16時10分、能登半島の先端を震源地とする巨大地震が発生。この地震により人的被害はもちろん、家屋の全壊、半壊も数知れず、ライフラインについては最大約4万4千戸の停電、最大約13万5千戸の断水被害、交通網も道路・鉄道・空路が一斉に不通になりました。

特に能登地方を中心に多くの道路が寸断されたことで、救助や支援物資の輸送が困難になり、なかでも海沿いを走る国道249号や能越道・のと里山海道といった幹線道路に被害が及んだことは大きな痛手でした。さらに内陸部へ向かう主要な道路はほぼ壊滅し、孤立集落が多く発生し、石川県金沢市に北陸支店を置く熊谷組も、まさにその渦中で大きな衝撃を受けていました。

スローガン
逢坂トンネル輪島側坑口
逢坂トンネル輪島側坑口
国道249号の逢坂トンネル付近沿岸部
国道249号の逢坂トンネル付近沿岸部
県道38号
県道38号
能登自動車道(のと里山空港IC~穴水IC)
能登自動車道(のと里山空港IC~穴水IC)
被災当初の国道249号
被災当初の国道249号

地震直後に震災対策本部を設置し、救援ルートを確保

北陸支店長 木下 剛
北陸支店長 木下 剛

熊谷組は地震発生当日、直ちに(震災対策本部)を北陸支店に設置。その日の様子を木下剛北陸支店長はこう振り返ります。

「元旦の夕方でしたが、第一に社員およびその家族の安否を確認しなければと思い、真っ先に支店に向かいました。安否確認後は徐々に自分自身も冷静になり、地域の安全と復興に対する責任を強く感じました。そこで、まず迅速に現場の状況を把握すること、そして被災者のニーズに応えるための支援体制を一刻も早く整えることが重要だと考えました」

またこの時、あらためて建設業界としての役割を再認識したといいます。

こうして熊谷組は、震災直後から被災地の建設現場やお客様はもちろん、周辺地域の被災者および被災状況の調査に動きました。しかし主要な交通網が断たれ、震災直後から残された道路に一般車両も集中したことから救援活動もままならない状況に陥り、情報も錯綜して、至る所で混乱をきたしていました。そこで、まず緊急車両等の通行を可能にする救援ルートを確保することが優先事項となりました。

北陸支店土木部 山崎 崇秀
北陸支店土木部 山崎 崇秀

余震が続く1月3日、熊谷組は一般社団法人日本建設業連合会を通じて輪島市、穴水町における道路法面崩落および道路啓開作業を、翌4日には珠洲市縄又町から小伊勢町における同作業の要請を受け、すぐさま中能登と奥能登を結ぶ能越道・のと里山海道や国道249号、県道38号、51号、輪島市道1号における崩積土・倒木の処理、陥没箇所の修復、迂回路の整備に取りかかりました。

国道249号の緊急対策工事に携わった山﨑崇秀は「倒木が多く、崩積土も軟弱で重機が搬入できないなど啓開作業は非常に困難でした。それに積雪で道路のクラック(ひび割れ)も隠れてしまっていたので現場は危険な状況でした」と話しました。

特にひどかったのは交通状態の悪さで、金沢から輪島まで片道6時間かかったことや、さらに極寒が加わり、現場担当の社員たちの疲弊を痛切に感じたといいます。

北陸支店土木部 石山 正太郎
北陸支店土木部 石山 正太郎

それでも工事は着々と進み、短期間のうちに多くの区間が通行可能となりました。しかし国道249号の輪島市と珠洲市を結ぶ逢坂トンネルでは大規模な土砂崩れにより輪島側の坑口が大量の土砂で塞がれ、震災から3か月たっても復旧の見通しが立たないでいました。

この区間を開通させるため、国土交通省による検討を経て、地震で隆起した海岸上に逢坂トンネルの緊急復旧道路(約1.3km)を整備することに決定。同年6月に本格的な工事に着手しました。工事は支障となる岩塊等を除去・整形しながら盛土を行い、有効幅員5mで1車線の道路をつくるというものです。現場は地震によって崩落した法面に近接しており、余震等による再崩落の恐れがある危険な状況の中での作業となりました。また現地は波浪の激しい地域であり、海水による浸食を防ぐためにボトルユニットや消波ブロックを設置しました。

工事に従事する一人ひとりが細心の注意を払い、最大限の力を発揮して大きな成果が見え始めました。

逢坂トンネルの啓開作業に就いた石山正太郎は、当時の工事について「設計図面は標準図しか無くて、とにかく現地合わせで施工を進めるしかなかった」と通常とは異なる進行に戸惑ったそうです。いかに現場が尋常なものではなかったということです。

逢坂トンネル工区の工事状況1
逢坂トンネル工区の工事状況2
逢坂トンネル工区の工事状況3
逢坂トンネル工区の工事状況4

逢坂トンネル工区の工事状況

逢坂トンネル復旧工事施工状況
逢坂トンネル復旧工事施工状況
道路拡幅状況
道路拡幅状況
積雪のなかでの施工状況(国道249号 中屋トンネル東工区)
積雪のなかでの施工状況(国道249号 中屋トンネル東工区)
能登自動車施工状況
能登自動車施工状況
応急復旧完了
応急復旧完了

震災復旧を阻んだ同年9月の記録的豪雨

同年9月21日から23日にかけて、石川県能登半島で記録的な豪雨が発生。台風14号から変わった温帯低気圧や秋雨前線、線状降水帯の影響で、奥能登地方を中心に記録的な豪雨となり、気象庁は大雨特別警報を発表。この豪雨により、河川の氾濫や土砂災害が多発し、約1900箇所で土砂流出が確認されました。仮設住宅の床上浸水などの被害も生じ、地震による土砂崩れはさらにその規模を拡大しました。

豪雨直後の国道249号・八世乃洞門新トンネル周辺
豪雨直後の国道249号・八世乃洞門新トンネル周辺
豪雨直後の国道249号・中屋トンネル東工区
豪雨直後の国道249号・中屋トンネル東工区

再び当地を襲った災害は、その後の復旧工事をより困難なものへと変えました。ここまで順調に進められていた「逢坂トンネル」も、構築した緊急復旧道路が一部流出、現場周辺の道路も寸断されるなど再び大きな打撃を受けました。また地震により通行止めが続いていた国道249号「中屋トンネル東工区」の復旧作業にも、甚大な被害をもたらしました。

それは道路に限らず、数多くの中小河川が氾濫し、それに伴いその流域一帯が大きな被害を受けたのです。

豪雨のもたらした被害は目に見えるものばかりではありません。震災の傷が未だ癒えない地元住民、そしてこれまで復旧工事に携わってきた多くの社員の心にもやり場のない重く苦々しい思いを残しました。

豪雨明けからすぐに復旧作業を開始

北陸支店土木部 渡 樹希也
北陸支店土木部 渡 樹希也

しかし熊谷組は、そうした負の気持ちをかなぐり捨てて、豪雨明けからすぐに復旧作業を開始しました。

「突然震災復興が振り出しに、いやそれ以上のマイナスからのスタートになりました。ところが、気持ちが折れるどころか、かえって使命感ややる気が高まってきて、より一層の団結力ができました」そう誇らしげに話すのは木下北陸支店長。また、同支店の渡樹希也からはこんな話を聞きました。

「豪雨災害の際に土砂崩れで道路が分断され立ち往生していた際、地元の皆さんから食事や避難所の提供など様々な支援をいただきました。そんな地元の皆さんへの感謝を糧に、一日でも早く復旧を完了させようと思いました」

自らが被災者である地元住民の人々からの温かな支援も、当地で働く社員たちのモチベーションを再び向上させた要因であることは間違いありません。

豪雨後は道路の啓開作業に加え、氾濫した河川への復旧作業に追われることになりました。堆積した土砂や流木を撤去し、応急復旧工事を一日も早く完了させなければ、いつまた次の自然災害が発生するかわからない状況でした。

八世乃洞門新トンネル周辺・啓開完了
八世乃洞門新トンネル周辺:啓開完了
中屋トンネル東工区:仮設橋梁設置完了
中屋トンネル東工区:仮設橋梁設置完了
塚田川:被災状況
塚田川:被災状況
応急復旧完了
応急復旧完了
真浦川:被災状況
真浦川:被災状況
応急復旧完了
応急復旧完了
下黒川町(施工中)
下黒川町(施工中)
町野町(応急復旧完了)
町野町(応急復旧完了)
農地被害:長井町(応急復旧完了)
農地被害:長井町(応急復旧完了)

輪島市を流れる塚田川は、豪雨災害で住宅が流失し犠牲者も出た地域で、住宅を押し流すほどの激流が一瞬にしてその地域を襲ったのです。また珠洲市に流れる真浦川も、短時間に氾濫して大きな被害を与えました。ほかにも長井町、町野町、下黒川町などの農地においても、奥能登豪雨の被害は及び、ここでも流入した土砂や流木の撤去工事を進めて、一年近い時間をかけ農業用施設の仮復旧へと漕ぎつけたのです。

熊谷組が総力を挙げ経験のない復旧工事に対応

北陸支店土木部 山田 智佳子
北陸支店土木部 山田 智佳子

復旧活動を本格的に開始すると同時に、北陸支店はもとより全社から多くの熊谷組社員またはグループ企業が応援に駆け付けました。その誰もが、一心に「一日も早い復興」を願ってのことでした。ただ、あまりにも経験のない復旧工事だっただけに、その誰もが戸惑いや不安を抱えながらでありましたが、それぞれに与えられた業務を全うすることに全身全霊を傾けて臨みました。

ここで、直接現場での復旧工事に携わってはいませんが、後方支援というある意味大事な役割を担っていた山田智佳子に話を聞きました。

「1月2日から出勤し、その日のうちに施工中の現場で被害のあった内灘にある現場(震源地より約140km離れた石川県河北郡内灘町)へ向かい、被害状況などを確認。液状化による深刻な影響で、建物や電柱が傾き、断水も発生していました」

本来なら年末年始休暇中ですが、すでに地震発生の翌日から被災地を精力的に動きました。山田は、啓開作業にあたる社員や作業員の宿舎の確保からライフラインの支障により飲み水や食料、生活用品やトイレの水の手配まで、自分ででき得る限りのあらゆる業務を担っていたそうです。どれひとつとっても、非常時でまともに手に入るものなど少ない状況にありながら、どれほどの労力を有したのか、その苦労を推し量ることさえ難しいのです。

「いまも能登震災に関する復旧工事が続いていますので、自分が出来る事をしていきます」と平然と話していることに頭が下がりますが、「大変な環境(現場)に携わった皆さんの業務の一部が担えたのなら」と話し終えました。

当工事に関わった数知れぬ人たちの思いに応えるように、いくつもの難題を乗り越えて来た結果がいまにあります。そういう自負が関わった人の数だけここに存在し、この工事を支えてきたのです。

早期の完全復旧を目指し継続的な支援を続けて行く

国道249号逢坂トンネル工区開通(2024.12.27)
国道249号逢坂トンネル工区開通(2024.12.27)

同年12月27日、ついに緊急復旧道路が完成。能登半島を突如襲った震災からほぼ1年、途中予期せぬ豪雨にも見舞われましたが、この日、待ちに待った能登の大動脈である国道249号が全線開通し、地元住民や緊急車両に限り通行が可能となりました。

令和7(2025)年の夏を迎えた現在も復旧・復興活動は現在進行形です。

多くの被災地では、住宅の修復やインフラ整備が進み、地域の生活は徐々に回復しています。地震による影響を受けた公共施設や観光資源も修復・再開され、地域経済の活性化に向けた取り組みが続いています。

豪雨による土砂災害や河川の氾濫も復旧作業が行われ、特に土砂災害防止のための砂防工事や河川の整備が進められて、再発防止策が強化されています。今や〝災害に強いまちづくり〞が推進されていると聞きます。

また道路の復旧・整備については、国道や県道などの主要幹線道路は被害箇所の修復や通行可能な状態への整備が完了。ただし一部の山間部や沿岸部では、土砂崩れや橋の損傷などにより通行止めや片側通行の箇所が未だにありますが、早期の完全復旧を目指しています。

国道249号中屋トンネル東工区開通(2025.3.31)
国道249号中屋トンネル東工区開通(2025.3.31)

熊谷組は、北陸支店で掲げた災害支援のスローガン『能登 共に歩もう未来へ』を復興の旗印に、被災した地域とそこに生きる人々と共に一丸となって、能登の明るい未来を築くために、これからも能登半島全域の安全と交通の円滑化を強固なものとするよう継続的な支援を続けて行く覚悟でいます。

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