1898年
(明治31年)〜
創業、そして熊谷組誕生へ
熊谷組は明治31年1月、福井の石工職人だった熊谷三太郎が、全国で三番目となる発電所・宿布発電所の水路建設を初めて請け負ったことにはじまります。以来、各地の鉄道や発電所などの建設工事で技術を磨き、信頼を得た三太郎は、昭和13年1月、株式会社として組織を改め、近代経営の一歩を踏み出しました。
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1898年(明治31年)
- 1月熊谷組創業
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1899年(明治32年)
- 5月宿布発電所竣工(明治30年11月着工)
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1937年(昭和12年)
- 8月三信鉄道(現JR飯田線)全通
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1938年(昭和13年)
- 1月株式会社熊谷組設立(資本金40万円)
代表取締役 熊谷三太郎
本社所在地 福井市豊島町上町1 -
1939年(昭和14年)
- 1月社則制定(昭和21年に改訂し、社訓)
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1940年(昭和15年)
- 1月社長熊谷太三郎、会長熊谷三太郎それぞれ就任
1941年
(昭和16年)〜
戦後復興から黒四まで
戦時下の厳しい時代を乗り越えた熊谷組は、戦後すぐに建築部門を設立。得意の土木分野に加え、建築分野でも日本の復興に大きく貢献しました。高度経済成長期の深刻な電力不足を解消するために計画された黒部川第四発電所建設工事では、日本土木史上に残る難工事、大町トンネル(現・関電トンネル)建設工事を施工。その苦闘は、小説や映画「黒部の太陽」にも描かれました。
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1945年(昭和20年)〜
- 4月空襲により東京営業所全焼
- 5月東京熊谷別宅の焼け跡にバラックを設け、営業所、宿舎にする
- 7月福井市空襲、熊谷組本社全焼
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1946年(昭和21年)
- 5月名古屋工場(後の豊川工場、現テクノス(株))業務開始
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1947年(昭和22年)
- 6月技術研究室開設(東京営業所内)
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1948年(昭和23年)
- 5月日本社会人野球協会に登録(野球部創部)
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1952年(昭和27年)
- 4月バスケットボール部実業団リーグに登録(バスケットボール部創部)
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1954年(昭和29年)
- 9月東京営業所新社屋完成
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1955年(昭和30年)
- 4月国内初の全断面掘削工法、月進記録218.2m 東上田発電所トンネル竣工
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1956年(昭和31年)
- 8月国内初のルーフシールド工法採用 関門国道下関口トンネル竣工
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1957年(昭和32年)
- 8月第28回都市対抗野球大会に初優勝 (都市対抗野球大会では第31回、第37回にも優勝)
- 9月第3回世界野球選手権大会(デトロイト)に優勝
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1958年(昭和33年)
- 2月黒四・大町トンネル貫通
1961年
(明治36年)〜
驚異的な成長
日本経済が急成長するなかで、熊谷組の建築部門は建築界の最高栄誉であるBCS賞の連続受賞や単独施工での超高層ビルの建設など、目ざましい発展を遂げました。土木部門でも、日本のトンネル工事の標準工法となったNATMをわが国で初めて導入するなど、日本土木史に残る数々の成果を残しました。また、香港での水路工事をはじめ、熊谷組は海外へと事業を拡大しました。
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1961年(昭和36年)
- 3月国内初の長大吊橋、若戸大橋竣工
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1963年(昭和38年)
- 3月国内初のコンクリートセグメントを用いた円形シールド工法採用、名古屋市高速度鉄道覚王山トンネル竣工
- 7月世界初、当社開発のサイロット工法を初導入した東海道新幹線泉越トンネル竣工
- 10月社章改訂
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1966年(昭和41年)
- 8月当社初の海外工事・香港プロバーコーブ水道トンネル工事竣工
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1967年(昭和42年)
- 11月牧田甚一が社長に就任
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1969年(昭和44年)
- 2月国内初のメガネ型シールド地下鉄駅・千代田線新お茶の水駅竣工
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1970年(昭和45年)
- 4月株式公開
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1974年(昭和49年)
- 3月本社新社屋完成(現社屋)
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1978年(昭和53年)
- 5月国内初単独施工の超高層・新宿野村ビル竣工
- 12月熊谷太一郎が社長に就任
1981年
(昭和56年)〜
成長へと導いた挑戦の数々
香港から始まった熊谷組の海外事業は、台湾や東南アジアを中心に北米や豪州、欧州など世界中に広がりました。また、国内でも日本を代表する数々の大型プロジェクトに参画。1985年には熊谷組の受注額は1兆円を超え、この年の経常利益は326億円、建設業界1位となりました。しかし1990年代後半になると、熊谷組にもバブル経済崩壊の影響が徐々に現れ始めました。
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1981年(昭和56年)〜
- 9月国内最大級都市開発事業「ニューシティ東戸塚開発事業」を開始
- 12月国内初のNATM採用、上越新幹線中山トンネル竣工
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1985年(昭和60年)〜
- 3月世界最長(当時)の海底トンネル青函トンネル貫通
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1988年(昭和63年)〜
- 3月筑波技術研究所開所
- 4月本州四国連絡橋・瀬戸大橋全線開通
- 10月国内初の横2連型MF型シールド工法採用の京葉都心線京橋トンネル貫通
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1989年(平成元年)〜
- 9月日本の建設会社が手がけた香港初のBOT事業 香港東部海底トンネル(EHC)竣工
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1990年(平成2年)〜
- 5月中国銀行香港支店ビル竣工
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1991年(平成3年)〜
- 3月バスケットボール部第24回日本リーグ初優勝
(第26回日本リーグでも優勝) - 6月国内最大規模のロックフィルダム、奈良俣ダム竣工
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1992年(平成4年)〜
- 1月バスケットボール部第67回全日本総合選手権で初優勝
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1993年(平成5年)〜
- 3月国内一の超高層ホテル(当時)幕張プリンスホテル(現・アパホテル&リゾート東京ベイ幕張)竣工
- 10月経営理念制定
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1997年(平成9年)〜
- 4月東京湾横断道路川崎トンネル浮島北貫通
- 11月松本良夫が社長に就任
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1998年(平成10年)〜
- 1月創業100周年を迎える
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2000年(平成12年)〜
- 12月鳥飼一俊が社長に就任
- 12月世界初の横三連型MFシールド工法採用、都営地下鉄大江戸線飯田橋駅竣工
2001年
(平成13年)〜
苦難の時代、そして復活へ
バブル期の巨額な不動産投資が引き金となり、熊谷組は会社設立以来の経営危機に直面。徹底した経営改革を進めるとともに、建設不況を克服するため、モバイル通信基地局や風力・太陽光発電施設など、新たな建設分野にも取り組みました。また無人化施工など次の時代を見据えた新たな技術開発にも着手。2014年には優先株式の消却を完了し、熊谷組は多くの人々に支えによって再建を果たしました。
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2001年(平成13年)
- 3月国内初のPFI事業、上越市市民プラザがオープン
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2003年(平成15年)
- 8月欠損填補による資本金減少(約334億円→約33億円)
- 10月優先株発行による資本金増加(約33億円→約133億円)不動産事業等を新会社として会社分割
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2004年(平成16年)
- 12月世界一の超高層ビル(当時)「TAIPEI 101」竣工
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2005年(平成17年)
- 4月大田弘が社長に就任
- 8月世界初のPSS-Arch工法採用、金沢外環状道路・涌波トンネル竣工
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2008年(平成20年)
- 11月世界初のNATM工法とシールド工法を融合した新しいトンネル工法SENS東北新幹線三本木原トンネル竣工
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2010年(平成17年)
- 6月建設業界で初めて「エコ・ファースト企業」に認定
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2013年(平成25年)
- 6月樋口靖が社長に就任
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2016年(平成28年)
- 4月熊谷組グループビジョン発表
- 8月香港東部海底トンネルのMOM事業へ参画
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2017年(平成29年)
- 4月マスコットキャラクター「くま所長」を制定
- 11月住友林業株式会社と業務・資本提携
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2018年(平成30年)
- 1月創業120周年を迎える
- 4月櫻野泰則が社長に就任
2021年
(令和3年)〜
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2021年(令和3年)
- 7月福井本店竣工 ※9月6日営業開始
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2024年(令和6年)
- 4月上田真が社長に就任