1941年(昭和16年)~戦後復興から黒四まで
戦時下の厳しい時代を乗り越えた熊谷組は、戦後すぐに建築部門を設立。得意の土木分野に加え、建築分野でも日本の復興に大きく貢献しました。高度経済成長期の深刻な電力不足を解消するために計画された黒部川第四発電所建設工事では、日本土木史上に残る難工事、大町トンネル(現・関電トンネル)建設工事を施工。その苦闘は、小説や映画「黒部の太陽」にも描かれました。
1945年(昭和20年)
- 4月
- 空襲により東京営業所全焼
- 5月
- 東京熊谷別宅の焼け跡にバラックを設け、営業所、宿舎にする
- 7月
- 福井市空襲、熊谷組本社全焼
1946年(昭和21年)
- 5月
- 名古屋工場(後の豊川工場、現テクノス(株))業務開始
1947年(昭和22年)
- 6月
- 技術研究室開設(東京営業所内)
1948年(昭和23年)
- 5月
- 日本社会人野球協会に登録(野球部創部)
1952年(昭和27年)
- 4月
- バスケットボール部実業団リーグに登録(バスケットボール部創部)
1954年(昭和29年)
- 9月
- 東京営業所新社屋完成
1955年(昭和30年)
- 4月
- 国内初の全断面掘削工法、月進記録218.2m 東上田発電所トンネル竣工
1956年(昭和31年)
- 8月
- 国内初のルーフシールド工法採用 関門国道下関口トンネル竣工
1957年(昭和32年)
- 8月
- 第28回都市対抗野球大会に初優勝 (都市対抗野球大会では第31回、第37回にも優勝)
- 9月
- 第3回世界野球選手権大会(デトロイト)に優勝
1958年(昭和33年)
- 2月
- 黒四・大町トンネル貫通