筑土八幡神社 白木大神輿渡御で社員が神輿の担ぎ手として参加

2012年09月10日

 9月9日、熊谷組の本社(東京都新宿区津久戸町)近くの筑土八幡神社で、白木大神輿渡御が行われ、当社社員・グループ会社社員ら約30名が参加しました。
 筑土八幡神社は本社の向かいにあり、嵯峨天皇の御代(今から約1,200年前)に祭られた歴史ある神社です。当社は昭和20年の戦災で焼失した際は社殿の再建を担当し、また毎年、新年度安全祈願などでは当社役員・社員が参拝に訪れるなど、当社とゆかり深い神社です。   同神社では毎年9月に大祭が行われていますが、今年は21年ぶりに白木大神輿の渡御が行われるということで、同神社を産土神や氏神として尊崇する10の町会から約1,000名が集まり、大きな賑わいを見せました。

 当日、朝9時前には、神社周辺には町内の名前が入った印半纏(はんてん)姿の人が多く集まり、神輿の渡御を待ちわびていました。
 宮司の御祓に続いて、筑土八幡神社奉賛会会長を務める当社 大田 弘 社長が「21年ぶりに神社神輿の渡御を行うにあたり、かさねて厚くお礼を申しあげます。昨年の東日本大震災以来、私たちは「絆」の大切さを改めて認識しました。今回、こうして神社神輿の渡御を行なうことができますのも、『地域の絆』があってこそといえます。そしてまた、この伝統を次の世代に引き継いでいくこともまた、大切な『世代の絆』であります。どうかこの大祭を通じまして、それぞれの『絆』がより一層強く結びつきますようお祈りいたします」と挨拶しました。

奉賛会会長を務める大田社長の挨拶

 その後お神酒で乾杯をし、いよいよ神輿が出社。渡御は筑土八幡神社から、大久保通り、外堀通り、目白通り、神楽坂など町内を練り歩き、その盛り上がりは夕方まで続きました。
 当社社員も熊谷組の名前が入った揃いの半纏、筑戸自治会の茶色い手ぬぐい、地下足袋を身に着け参加。当社が所属する筑戸自治会は、宮元ということもあり、宮出しでは栄えある花棒(*)を当社社員が担当しました。(花棒とは神輿を担ぐ際中心となる場所)
 当日は残暑が厳しく、日差しが強い中、社員たちも地域のみなさんに負けないくらい威勢のよい掛け声をかけながら、神輿を担ぎました。慣れない地下足袋と暑さに、体力を奪われながらも笑顔見せていました。

揃いの半纏と手ぬぐい(写真は助さん被りの準備中)で、準備万端

神輿渡御は提灯、神宮、総代たち、そして神輿と列をなして進みます

見慣れた本社前の通りには多くの人が溢れました

威勢のいいかけ声をあげて花棒を担ぐ社員たち

神輿を前方・後方から支えます

活気溢れる神輿

神輿は東京でもっとも古いとされています(慶応二年 1866年製作)

(左)熊谷組の本社前に神輿登場 (右)会社を代表してお祓いを受け

本社玄関で神輿(神様)が差し上げられると、 社員たちから大きな歓声が上がりました

(左)本社玄関前には提灯が掲げられています。

(右) 前日の子供神輿の際には熊谷組オリジナルのミネラルウォーター「 黒部の氷筍水」とお菓子「熊谷グミ」を提供しました

最後まで疲れを見せない、社員たちの笑顔

* 筑土八幡神社の由来
 昔、嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に武蔵国豊嶋郡(こおり)牛込の里に大変熱心に八幡神を信仰する翁がいた。
 ある時、翁の夢の中に神霊が現われて、「われ、汝が信心に感じ跡をたれん。」と言われたので、翁は不思議に思って、目をさますとすぐに身を清めて拝もうと井戸のそばへ行ったところ、かたわらの一本の松の樹の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現れて松の梢にとまった。
 翁はこのことを里人に語り神霊の現れたもうたことを知り、すぐに注連縄(しめなわ)をゆいまわして、その松を祀った。
 その後、伝教大師(でんきょうだいし)がこの地を訪れた時、この由を聞いて、神像を彫刻して祠に祀った。
 その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけた。
 さらにその後、文政年間(今から約五百年前)に江戸の開拓にあたった上杉朝興が社壇を修飾して、この地を産土(うぶすな)神とし、また江戸鎮護の神と仰いだ。
 現在、境内地は約2200平方メートルあり、昭和二十年の戦災で焼失した社殿も、昭和三十八年氏子の人々が浄財を集めて、熊谷組によって再建され、筑土八幡町・津久戸町・東五軒町・新小川町・下宮比町・揚場町・神楽河岸・神楽坂四丁目・神楽坂五丁目・白銀町・袋町・岩戸町の産土神として人々の尊崇を集めている。