会社情報

代表メッセージ

熊谷組の枠を超え、新たな成長エンジンを手に入れる。

株式会社熊谷組 取締役社長 櫻野 泰則

「一流の技術者」とは何か。熊谷組においてそのタイプは大きく2つに分かれるかと思います。一つは、技術者としての道を極めた人物。職人肌であり、突き抜けた能力をもつタイプで、みなさんのイメージするプロフェッショナル像に近いのかもしれません。もう一つは、技術的に優れている上で、建物をつくった後のこと、使う人のことまで想いを巡らせ、実践できる人物。まさに、私たちが掲げる「しあわせ品質」を体現できる技術者だと思います。

そんな一流の技術者を育てる土台となるのが、熊谷組の「現場主義」です。常にものづくりの最前線に立つことで、職人や先輩たちから技術を直に吸収し、自ら交渉術を身につけられる。実践の場で若手に数多くのチャンスを与えられる熊谷組だからこそ、一歩一歩修行を積むだけでなく、より早く、よりダイナミックに成長を遂げることができるはずです。

120周年を迎えた今、熊谷組は大きな転換期を迎えています。これまでの私たちは、グループ会社の力を結集することで、成長の道筋を歩んできました。しかし、自分の釣り場で糸を垂らしていれば魚が釣れた時代はまもなく終わり、今度は自ら新しい釣り場を探していく時代へと変わっていきます。旧来のゼネコンの枠を飛び越え、他社・他領域とシナジーを創出し、新しい成長のエンジンを探しにいく。そんな挑戦がまさに今はじまっています。共にタッグを組むパートナーから見れば、建設サービス業である私たちの「一流の技術者」としての力はますます必要とされていくことでしょう。

住友林業との業務・資本提携もその一例です。住友林業の強みである「木」や「緑」への深い知見と、熊谷組の強みである優れた土木・建築技術のノウハウを融合し、「木」や「緑」を活かした建築物の提供を通じて豊かな社会の実現を図ります。あわせて、土木・建築分野への木材の有効活用をはじめとした森林保全、環境保全を目指します。また、私たちと比較的近い業種だけでなく、木質バイオマスや太陽光といった再生可能エネルギー事業者、インフラメンテナンス企業、海外の事業パートナーともシナジーを創出していきます。みなさんが熊谷組の新しい事業や海外事業を担うチャンスも、今後さらに広がっていくことでしょう。

熊谷組には、120年にわたり受け継がれてきた「誠実さ」と「挑戦心」というDNAが流れています。変化の時代を迎えたとしても、自分らしさを見失わず、誠実で、将来をポジティブに描き続けられる人ならば、必ずや熊谷組で輝けるはずです。大きな志をもつあなたの入社を、心よりお待ちしています。

熊谷組ヒストリー

時代が変わっても。工法が変わっても。変わることのない熊谷組のDNA。

1898年、福井の石工職人であった熊谷三太郎が、
その腕を見込まれ全国で三番目となる
福井県の宿布発電所の工事を請け負ったことから
熊谷組の歴史ははじまりました。
いつの時代も、お客様、そして社会に
必要とされる企業であるために。
120年を超えるその軌跡の中で、
熊谷組のDNAを象徴する
出来事や取り組みをご紹介します。

1934年

「100年後に
残る仕事をやりたい。」
熊谷組法人化へ導いた
三信鉄道工事。

険しいV字峡谷、谷底をうねる天竜川の激しい流れ。三河と信州を結ぶ峡谷に鉄道を建設するという誰もが尻込む工事に、「百年後に残すべき有意義な仕事をやってみたい」「沿線地方の人びとの利益に貢献したい」という想いで、熊谷三太郎は莫大な工事を一個人として受注。見事成し遂げ、熊谷組設立のきっかけとなりました。その功績はいまも日本土木界の歴史に残る偉業のひとつと称されています。

1956年

抜けないトンネルはない
映画化までされた
歴史的難工事、
通称くろよん建設。

経済成長期、日本が深刻な電力不足に陥る中、黒部ダム・黒部川第四発電所(通称くろよん)建設が計画され、熊谷組は北アルプスを貫く5,400mのうち4,560mものトンネル工事を請け負いました。当初順調だった工事も、途中で大断層・破砕帯に遭遇。トンネルは大量の湧水と崩落の危機に見舞われつつも、不屈の信念で破砕帯の突破に成功。この工事は後に小説「黒部の太陽」で描かれ、映画化もされました。その先達の信念は、いまも社内に語り継がれています。

1975年

建築の挑戦、土木の飛躍。
大型プロジェクトに
続々参画。

熊谷組の挑戦は、従来の枠を超え建築分野へ。1975年、地上50階、塔屋3階、地下5階の超高層・新宿野村ビルの建設に着手。日本初の単独施工による超高層ビルとして、建設業界や多くのメディアからも注目を集め、「建築も熊谷」との評価を高めました。土木分野でも着実な実績を積み、いまではトンネルの標準工法として普及しているNATMを日本ではじめて導入。上越新幹線・中山トンネルをはじめとする数々の難工事に携わり、施工したトンネルの数はいまや1200を超えています。

1989年

「どんなことでもやりぬく」
熊谷組スピリットを、
国内外で発揮。

香港からはじまった熊谷組の海外事業は、台湾や東南アジアを中心に世界中へと拡大。その受注額は1985年には1兆円を超え4割強にまで広がり、中でも1989年に完成した香港東部海底トンネルは、BOT方式による事業として注目を集めました。国内においても、世界最大級のシールド機による東京湾アクアラインへの参画など、技術面においても大きな飛躍を遂げました。

※ 民間事業者が施設等を建設し、維持・管理・運営を行い、事業終了後に公共施設等の管理者等に施設所有権を移転する方式。

2000年から

創業以来の
危機を乗り越え、
時代に応える新たな挑戦へ。

1990年代のバブル崩壊により、他社と同じく熊谷組も大幅な事業の縮小を余儀なくされました。建設不況が続く中、熊谷組は当時急速に普及し始めたモバイルの通信基地局や風力・太陽光発電の施設建設など、新たな建設分野にも挑戦。苦境の時代にあってもチャレンジ精神を失うことなく、竣工時世界一の高さを誇るTAIPEI101(台湾)や、ITを駆使した無人化施工など未来を見据えた技術開発にも着手しました。今日も次の時代を見据え、再生から進化への新たな挑戦をはじめています。

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