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特別対談 舞台「黒部の太陽」を語る

平成20年11月5日

特別対談 舞台「黒部の太陽」を語る

大田 弘 × 中村 獅童

熊谷組取締役社長×俳優日本の土木史において、世紀の大事業と称された黒部ダム建設。その実話を基に描かれた、昭和の大スター石原裕次郎と世界のミフネと呼ばれた三船敏郎共演の映画「黒部の太陽」。その公開から40年を経て、2008(平成20)年10月、遂に舞台となって甦ることになった。熊谷組は、映画製作同様に、今回でも舞台製作に協力している。そこで、その舞台の主演を務める俳優中村獅童が熊谷組の本社を訪れ、大田社長と対談。実際に当時の建設に携わった熊谷組ならではの貴重な話をはじめ、中村獅童が舞台にかける意気込みなどを語り合った。 
対談は、2008年8月に熊谷組本社(東京都新宿区)で行われた。

 

黒部ダムを訪れてその凄さにびっくりです
大田 この度、中村獅童さんが『黒部の太陽』の舞台を上演されるというので、大変楽しみにしているんです。
中村 ありがとうございます。
大田 ところで、黒部ダムに行かれたそうですね。
中村 ええ、大町から入りまして黒部ダムを見学し、ロープウェイで立山連峰、室堂辺りまで。
大田 ちょうど夏の今頃は観光シーズンですからね。印象はいかがでしたか。
中村 黒部ダムにはびっくりしました。あのスケール、あの迫力は凄いですね。
大田 そうでしょう、しかも驚くべきことに、あれは測量技術も土木技術も乏しい時代の建造物ですからね。決して現代の建造物に引けを取らない。
中村 確かに、それだけの重みを感じました。

 

中村獅童●なかむら・しどう Shidou Nakamura

中村獅童●なかむら・しどう Shidou Nakamura
二代目中村獅童。父は三世中村時蔵三男・三喜雄。叔父は故萬屋錦之介、中村嘉葎雄。「獅童」の名前の由来は祖父三世時蔵の俳名による。1972(昭和47)年9月14日生まれ。日本大学芸術学部演劇学科出身。歌舞伎役者、俳優、声優など幅広く活躍。主な作品は、映画『ピンポン』、『阿修羅のごとく』、『硫黄島からの手紙』、『男たちの大和』。テレビ『新選組!』、『真実の手記 BC級戦犯加藤哲太郎 私は貝になりたい』、『チャップリンの秘書は日本人だった』。舞台『トゥーランドット』『義経千本桜』『獅童流森の石松』『三人吉三』など多数。また新作映画「ICHI」(10月25日)、「レッドクリフ」(11月1日)の公開を控えている。

想像以上に過酷な現場に身も心も引き締まりました

 

大田 破砕帯はご覧になりましたか。
中村 はい、しっかりと見てきました。
大田 今は観光でいらして普通に見られますが、あれが7ヵ月もの長い間、我々の大先輩たちの工事に立ち塞がっていたんです。
中村 寒かったんですよね、夏だというのに。
大田 これが冬になると、想像以上に過酷な現場です。いまでも毎年観光シーズンが終わって12月に入ると、私ども熊谷組は翌年の3月まで越冬してトンネル内や発電所の水路の点検・補修など、さまざまな作業を行っていますが、技術の進歩はあっても気温だけは当時と同じですからね(笑)。
中村 湧水を触ってみましたが、身体の底まで痛むような冷たさでした。この水を大量に浴びながらよく作業ができたなぁ、と。
大田 そうなんです、その水が1秒間にドラム缶3本くらいの量となって作業員たちに襲いかかってくるのですから、尋常ではない。カッパを二重に着込み、後ろの方には焚火も用意して、作業は20分交替で行いましたが、それでももたなかった。
中村 ほかにも色々と見学させてもらいましたが、どこも厳しい条件下での作業であったろうことがうかがわれて、身も心も引き締まりました。

 

大田 弘 × 中村 獅童

 

映画をそのままなぞっては意味がないんじゃないか

 

中村 獅童大田 獅童さんにとっては、もちろん公開当時の様子などご存知ないと思いますが、『黒部の太陽』という映画はどうのように捉えていますか。
中村 当然、そういう凄い作品があったことは知らされていましたし、当時を知る多くの先輩からも話は伺ったことがあります。でも、実はまだ問題の映画を観てないんです。
大田 そうでしたか。『黒部の太陽』を監督された熊井啓さんと生前お話をさせて頂いたとき、撮影のエピソードなど随分いろいろ語って頂きまして。それを聞いてからまた映画を見直すと、さらに感心するやら、感動するやら、興味は尽きないですね。
中村 そこまで詳しく映画をご覧になっているような方には、この舞台は観て欲しくないですねえ(笑)。
大田 いえいえ映画公開から40年振りに舞台版として甦るということですから、本当に楽しみなんです。きっと獅童さん自身も相当な意気込みというか、お気持ちがおありでしょう。
中村 もちろんです!ただ、このお話をいただいた時は、かなり戸惑いました。でもそれだからこそこの舞台は、全身全霊で挑戦してみることに大きな意義があるように思えたんです。映画そのものがあまりにも偉大な作品ですし、なにしろ昭和の大スター石原裕次郎さんが演じられた役ですからね。それをそのまま映画のようになぞっただけでは、今回新たに舞台化する意味がないんじゃないかと。つまらない先入観を持たず、まっさらな状態で、自分なりの、つまり中村獅童としてその役柄を作り上げていきたいと考えているんです。それから落ち着いて映画を観ようかな、と。
大田 そんなお話をお伺いすると、獅童さんの役者魂というようなものを感じますね。実際、私もそうですが、我々の世代やその上の諸先輩方は、まさに『黒部の太陽』に憧れてこの土木という世界に入ったと言ってもいいくらいですから、獅童さんのおっしゃる通り大きな作品です。
中村 それはますますプレッシャーだなぁ(笑)。でも、それがあるからこそやりがいもあるように思います。

大田 弘

 

熊谷組の技術協力で舞台に20トンの水を流す

 

大田 佐々部清監督の演出で、舞台上に大量の水を流すという「破砕帯突破のシーン」も話題のひとつですが、その舞台装置に弊社が協力させて頂いています。いま、茨城県つくば市にある熊谷組の技術研究所でその舞台装置に取り組んでいるんですが。
中村 近々僕も研究所にお邪魔して、そこで実際に稽古をする予定になっているんです。
大田 そうでしたか。しかし舞台の上で20トンの水を使うというのも初めてじゃないですか。
中村 そうでしょうね、想像しづらいですけど…。予定では、その水に加えて舞台上に30トンのトンネルも仕込むとか。
大田 総重量50トンという舞台装置ですか。
中村 そんなことが、本当に可能だろうかと(笑)。
大田 私ども建設業の、特に土木関係者はみなそろって、どうなるのかと興味津々です。
中村 それこそ映画とは違う、舞台の持つライブ感や、特別な空間を体験できると思います。
大田 私ども熊谷組もできる限りのご協力をさせていただきます。舞台の成功を心からお祈りしております。本日はありがとうございました。
中村 こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました。

 

大田 弘 × 中村 獅童

 

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